昨日、社会福祉法人「子供の家」運営 自立援助ホーム あすなろ荘に伺いました。
今回、児童虐待根本解決に向けた勉強会などを一緒に進めている、超党派の仲間、森沢きょうこ都議、斉藤れいな都議、おくざわ高広都議に同行させていただきました。
今まで、いろいろな方々との視察を経験しましたが、こちらの3名は超優秀!!!!!
スーパー都議チーム!!
少数精鋭のメンバーと一緒に行くと、ヒアリングも深いところまで掘り下げることができ、本当に勉強になりました。
彼らは都議ですから、東京都の最新情報を把握していて、都議としての発想で、バシバシと質問をぶつけていく訳です。
(私は区議なので、品川区のことを中心にお伺いしたい質問が浮かびます。)
自立援助ホームは、現在は都の担当なので、直接的に私がお手伝いできることが、現時点においてはあまり無いのですが、
これから品川区では、3年後の令和4年4月予定で、新しく区の児童相談所ができますから、
その際には、より地域に密着した社会的養護のあり方を関係者の皆さまと共に作り上げていくことになります。
現在の都の動き、社会的養護の現状を都議の方々と一緒に伺うことができたことには、とても意義があります。
お誘いいただき、ありがとうございました!!
さて、「児童虐待根本解決のためには、どうしたらいいのか?」
自立援助ホームを視察して、いつものように、上流と下流に分けて考えると、
◆上流
「品川区の全ての子どもたちが適切な養育を受けることができるようにするためには・・・」
・「適切な養育とは何ぞや?」ということを将来、親になる青年たちに伝えていくこと
・現在、育児に困っているお父さん、お母さんたちを見守り、いざという時にはSOSを出しやすく、SOSを受け取りやすい風土を作っていくこと
・スクールソーシャルワーカーのさらなる活用
・子ども食堂、無料の学習塾などの民間NPO等との連携
・子供家庭支援センターの役割を今一度、見直してみること
◆下流
・「適切な養育を受けることができず、児童相談所にも繋がらず、18歳以上に達した青年たち」の実数の把握
・どんな子も、0歳~20歳までの間に、子ども達が獲得すべきものがある。保護してから20年後も、関わりを続けていくための支援を充実
・保護される子ども達に見られる傾向も、時代によって変化している。20年前は、非行など→リストカットなどの自傷行為→現在はエネルギーそのものが無い。10年、20年後には、どのような特徴が現れるのか?予測して、予防の対策を打ちたい。
・生きるためのエネルギーが無いということは、それだけ傷ついているということであり、精神科を受診するなどの専門家の支援等が必要だが、収入があると医療費の補助が無いため、ここをどうするか?
・その子の応援団をつくること!(課題として、支援者がポロポロといなくなってしまう。弁護士、心理士などの専門職の支援が必要なケースでは金銭的なサポートなど。)
・働いている子と学生の子を分け、それぞれに特化した自立支援ホームのあり方を研究する
など、さらなる調査研究を進めていきたいと考えています。
【お話のなかで、気になった取組み】
・京都市の通所型の支援の事例
・福生市の不登校支援の事例
・清瀬市のスクールソーシャルワーカー活用の事例
ここからは、私の個人的な感想です。
「自立支援」
子育てと一緒で、赤ちゃんの初めてのタッチの時には、誰も手を貸しませんよね?
カメラ・ビデオを探したり、机の角にぶつからないように、ちょっと守ったり、という感じです。
(1)指導・管理
(2)相談・援助
(3)主体性の保証
という、お話をお伺いしていて、私はアメリカのホストファミリーを思い出しました。
アメリカ人は、主体性の保証が上手だと思います。
アメリカ人の母は、私の意見や決断をいつも尊重してくれました。
慣れないアメリカでの生活の中で、困ったことがあった時には、
「私はこう思うけれど、ゆかりはどう思うのか?」ということを必ず聞いてくれましたし、
”W”とか”R”とか、日本人にとって難しい発音がなかなか出来なかった時も、
夕食の後に、発音の特訓に付き合ってくれるなど、
私が壁にぶつかって、SOSを出すと、一緒に解決策を考えてくれました。
日本でありがちの、「普通はこうだから!」なども、言われたことは無かったように思います。
また、ホストマザーが亡くなるまでの間、毎年欠かさず、お誕生日には写真と手紙とプレゼントを贈り合っていました。
私は”Keep in touch”という言葉が好きなのですが、それはアメリカの母がずっと言っていた言葉だったからです。
長い間、連絡を取り合い続けるというのは、難しいことかもしれませんが、素晴らしいホストファミリーに恵まれたことに感謝しています。
私は勝手に「品川区の子ども達の応援おばさんになりたい!」と思っていますが、暑苦しいおばさんではなくて、
自分が若い時にしていただいた経験を活かして、いつか、ホストマザーのようになりたいと思いました。